昨日
傘を盗まれて
なんか ぼーっとしていて 追いかけることも出来たんだけど
濡れながら 自分の傘をさす人の後ろ姿見ながら とぼとぼと歩く
今朝
ニュースを見ていたら
物価高騰を国民は許容しているとの日銀総裁の発言
それを受けての 街頭インタビュー
其々の世代 職種の違う人たちの言葉
ぼーっと聞く
ラジオで 人が生まれてきてよかったと思う瞬間の話
それらが 自分の中で混ざり合う
人が誰かのために してしまう事と 人が搾取されたと感じる事とか
対価を産むこと行為については
今一度
これって どういう事なんだろうと 考えること必要で
これは当たり前ではない事 息子に教えたいと思う。
余計なお世話と言われそうだけど笑
基本は自分の価値感が 基準になってしまうと思うのですけれど
自分が 出来るから それを人が出来るとは限らないし
すごく頑張ったことも
それが 当たり前と言われたら 認められたければ頑張るしかないんだけど
その背景を汲むことことが 人間って出来てしまいますからね
それが結局のところ人を動かす力になるからね
それは 人間の いいとされるとこで
でもですね
それだけでは 人間って駄目なんですよね
なんでなんでしょうか
上記に事も
気持ちが悪い事なのかもしれないです。
わたしは 人と何かすることで 気持ち悪くも 気持ちよくも 当たり前になる
それを 容認している
それを カタチや場所にすることで消化している
これは 祈ること なのかなと思っている
もうすぐ 半世紀生きる 自分が 思う事
人は 悪い事にも 良い事にも 心動く
これは 当たり前のことだ
傘はきっと また 誰かに盗まれて
誰かが 嫌な気持ちになって
それを 何とも思わない人も 何かを 生む
その中で自分も 息子も生きている 生きていく